ソムリエ・ワインエキスパート試験に絶対に合格したいアナタへ!

独学での勉強方法をご紹介。オリジナル問題集や過去問を解いていただきながらポイントを解説します。


【ドイツ】モーゼル - ソムリエ教本'20 の内容を...(略) - その3『歴史』編② ローマ帝国時代 (の残り)


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どもー。前回の続きでドイツ・モーゼル地方歴史②です。

 

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↑の表はソムリエ教本の試験的なポイントをまとめたものなのですが、ローマ帝国時代の内容は期間の長さにしてはわりとスカスカですね~( 一一;)。でも、この時代こそモーゼルのワイン造りの基礎ができた大切な時期だったので全く試験の役には立ちませんもう少し補足しておきたいと思います。

 

ローマ帝国の成立~繁栄~滅亡まで流れを知ろう!

まず↑年表をみてもサッパリ...( 一一;)って方 >>

非常に分かり易い歴史の解説動画を見つけたので、苦手意識のある方は感じをツカむ為に見ておきましょう!

 

ギリシア → ローマ誕生まで (この際ついでに...) 7分37秒

www.youtube.com

 

ローマ誕生 → 繁栄

トリアーのローマ時の名称「アウグスタ・トレヴェロールム」は↓登場のアウグストゥスより。11分51秒

www.youtube.com

 

繁栄 → 崩壊 まで

少しローマ時代の後にできたフランク王国カール大帝(=シャルルマーニュ)とか出てくるけど、仏ブルゴーニュの白ワイン「コルトン・シャルルマーニュ」の人ね。7分33秒

www.youtube.com

Corton-Charlemagne - Wikipedia

A couple decades later, Charlemagne's fourth wife Luitgard was said to be displeased with red wine drippings on the white beard of the king and ordered that a section of the hill be pulled up and replanted with white grape varieties—a section that is today known as Corton-Charlemagne.

ちなみに「コルトン・シャルルマーニュ」の生産色が白だけなのは4番目の奥さんのルイガードが彼のヒゲが赤ワインで汚れるのが嫌だったから( 一一;) なんじゃそりゃ...

(すんません。脱線しました。)

 

さて、ここからが本題です。

ローマ人+奴隷のワインの消費量www

sciencevibe.com

で、まずこれ。 ローマ兵+奴隷が毎日3リットルのワインを飲んでいた(; ・`д・´)!と言われています(少なく見積もっても1日1リットルくらい)。そもそもワインは腐りにくい水の保存食って側面もあって軍事的にも利用されていたっつーのもあるのですが、人間の1日に摂取する飲料での水分量の目安が2リットルとしてとワインの水分の割合が75%、つまり2.6リットル分のワインを飲めば他の水分を取らなくてもOKって計算になりますが、健康にも良いからもう全部ワインでいいじゃん的なノリ★だったのではないかと。

 

vino-joy.com

ついでなんで↑ページ現在のデータと比較してみましょう!

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https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_beer#Early_beers

These beers were often thick, more of a gruel than a drink, and drinking straws were used by the Sumerians(シュメール人) to avoid the bitter solids left over from fermentation.(←おいこれマジか...) Though beer was drunk in Ancient Rome, it was replaced in popularity by wine.

他のお酒の選択肢が多い現代と比べるもなんですが、当時ビールはあったみたい。でもローマ帝国時代になるとワインが人気でこれ一択になってしまったのかもの凄い需要があったってわけ。こうなってくるとワイン造りを必死に考える(; ・`д・´)のも当然ですね。

 

ローマ人が急斜面でブドウ栽培をはじめた理由

で、↓によると...

https://en.wikipedia.org/wiki/Ancient_Rome_and_wine#Gaul(古代ローマとワイン - ガリア人) 

The Romans looked for hillside terrain(地形) in regions near a river and an important town. Their knowledge of the sciences included the tendency for cold air to flow down a hillside and to pool in frost pockets in the valley. As these are poor conditions under which to grow grapes, they were avoided in favor of sunny hillsides that could provide sufficient warmth to ripen grapes, even in northerly areas.

(イタリアより北にある) 寒い北部の地域でもブドウを育てやすいよう、川沿いの丘(≒斜面)の地形を探していたわけです。(↑動画でも北に攻め入ってましたね~。) そこに見事にハマったのがモーゼルってわけ。

 

いちおう、(急)斜面の↑ブドウ畑の仕組みを↓ページと合わせて解説しておくと...

How to prevent vineyard frost damage?(ワイン畑はどうやって霜を防ぐか?)

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霜がどうして起こるのか?を分かってない方は↓必見。

気象ひとくちメモ - 「放射冷却現象と霜」- 熊 本 地 方 気 象 台

 

実は急斜面+川沿いにブドウ畑を作ると平地に比べて...

・日照時間UP

 +日光が川の水面からも照り返す!

・冷気(+霜)が斜面をつたって下に流れる

 木(林・森)があれば冷気をブロック!

っー感じ。

 

以前にお伝えした保温性の高い青色のスレート(粘板岩)土壌なんかも狙ってたのか偶然あったのかは分かりませんが、寒いドイツの気候としてはラッキー☆としか言いようがありません。

 

ちなみに↓

The Oxford Companion to Wine - Google ブックス

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スレート(↑の石)に関しては足りなくなったら補充していました。(おそらく拾い集めていたのでしょう。) やや脱線しますが「美しいモーゼルの急斜面の畑はローマ時代から~♡と古代のロマンを感じたいところですが、一部の畑16世紀爆薬を使った発破工事で無理矢理作った模様( 一一;) マジカ... さらに↓を読むと当時としてはわりとお金をかけて急斜面の畑を増やしたのではないか?と想像できます。

火薬 - 歴史 - Wikipedia

ヨーロッパでの花火利用は14世紀フィレンツェですでにみられ、やがて欧州各地で祝祭などの際に盛んに花火が用いられるようになっていった。このほか、日本などでも大規模な催し物に花火は欠かせないものとなっていった。一方、障害物の爆破など土木工事に対して火薬を使うことは、黒色火薬時代にはそれほど行われることはなかった。これは、当時の火薬が爆破力・信頼性ともに低いうえ膨大な軍需によって常に品不足状態であり、そのため高価であって、工事に使用するには全く引き合わなかったためである。ただしまったく使用例がなかったわけではなく、鉱山掘削や運河の開削などでいくつかの使用例がある[17]

この辺り↓も読んでて面白い。爆薬に必要だから世界中の国が作る・集めるのに四苦八苦してたみたい(笑) もちろん日本も。

硝石 - 製造史 - Wikipedia

 

紀元 → 約1700年間も使われ続けたローマ人のブドウの仕立て方

もう少し細かいブドウの栽培方法としてはローマ時代から18世紀まで使われていたというカマーバウが有名。

https://en.wikipedia.org/wiki/German_wine#Early_history

Vine trellising(仕立て) according to the Pfälzer Kammerbau(カマーバウ) system traditional to the Palatinate, where it was widely used until the 18th century. In an all-wooden version (without the steel wires), this system is supposed to date back to Roman times.

当時は仕立て方"木の棒"を使ったものでした。現在は"鉄のワイヤー"ですが大きく変わってはいませんね(笑) ローマ人スゲー(; ・`д・´)

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ちなみにドイツ語で、カマ―=「房」、バウ=「建てる」って意味。

 

紅茶みたいにワインを飲む?

ワインの文化面としては、現在のグリューワインの原型ができたのもこの時期っぽいです。

Mosel (wine region) - history - Wikipedia

The Mosel wine of the Roman period was described as light bodied and "austere". It was said to be an easier drinking wine than that of other Roman areas. In the winter time, the wine was heated in a kettle and drunk like a tea (a practice that still has some tradition among modern vineyard workers who drink it like coffee,[clarification needed] often with a little sugar added).

↓はおそらく↑の流れなのではないか?と想像。もう紅茶みたいですね~。

www.bigoven.com

 

ローマ帝国時代のワインの価格 - 1壷分のワインは?

↑の動画の通り、このローマ帝国あたりの時代ってやたらめったら異民族と戦っていたのですが、ローマ人が造るワインは彼ら(異民族)にも人気だったそうです。ちなみにワインの価格は...↓

https://en.wikipedia.org/wiki/Ancient_Rome_and_wine#Gaul

When the Romans seized Massalia(現・仏マルセイユ) in 125 BC, they pushed farther inland and westward. They founded the city of Narbonne(ナルボンヌ) in 118 BC (in the modern-day Languedoc region) along the Via Domitia(ドミティア街道), the first Roman road in Gaul. The Romans established lucrative trading relations with local tribes of Gaul, despite their potential to produce wine of their own. The Gallic tribes(ガリア人の部族) paid high prices for Roman wine, with a single amphora worth the value of a slave.[6]

アンフォラ1つ分のワイン

=奴隷1人(の命)...( 一一;) オイッ

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ナルボンヌ - Wikipedia

ドミティア街道 - Wikipedia


ローマ帝国滅亡もワインが原因?

上に引き続き、そろそろオチを付けたいってところで...

https://en.wikipedia.org/wiki/Ancient_Rome_and_wine#Germania

Despite military hostilities, the neighboring Germanic tribes like the Alamanni(アレマン人) and Franks(フランク人) were eager customers for German wine until a 5th-century edict forbade(禁止) the sale of wine outside of Roman settlements. Wine historian Hugh Johnson believes this might have been an added incentive for the barbarian invasions and sacking(略奪) of Roman settlements such as Trier—"an invitation to break down the door."[13]

ちなみにアレマン人(現ドイツ付近にいた)ってのが前回ご紹介したモーゼルの詩「モゼラ」を詠んたアウソニウスが恋に落ちた奴隷の少女の出身の部族。フランク人ってのがゲルマン民族の1つで後のフランク王国(=後のフランス)をつくった部族。(↑年表+動画) 

アレマン人 - Wikipedia

フランク王国 - Wikipedia

最終的に(西)ローマ帝国将軍オドアケルの反乱により滅亡。帝国の体制が崩れたところにフン族に追い詰められたゲルマン人が流れ込み、フランク王国などヨーロッパの各国に分裂するわけなのですが、その侵略の理由「彼らがローマ人がトリアーとかで造ってるワインのファンだったからじゃないっスカ (´_ゝ`)?」とか言っておけばワイン通っぽいかもしんない☆彡

オドアケル - Wikipedia

フン族 - Wikipedia 

ゲルマン人 - 大移動 - Wikipedia

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(次回フランク王国時代に続く。)

 

【編集後記】

この記事について

ローマ帝国時代の面白そうな箇所を全部書き切ってみたところ非常に長くなり過ぎました( 一一;) あんま試験の内容だけに特化し過ぎるとペラくなる & 数年後、文章としての価値が陳腐化するかもしんない...ってのが書いてて悩ましいところ。分かりにくいところは「優しく・見捨てず」という方針。ここ数回で「リンク集」みたいにアレコレ見ていければ楽しいんじゃない?って気に。

 

近況 2020.04.21 火

とうとう休業要請に従い5/6(水)まで店を閉めました。バーって飲食店かと思いきや兵庫県の規定では遊興施設だったというのにビックリ。

 

思い出=筆者の心の師匠「バーテンダーは太るな!というのが...」

そんなこんなで「再開まで体がナマらないようにしなければっ☆彡」と思っています。↑は自分で心がけている事ですが続きは「(お客さんに提供する)酒の味がダラしなくなるから! 」だそう。まぁ飲食でも業種によって違うでしょうが、例えば今回テーマのモーゼルのキリッとしたリースリングなんかを出すソムリエがダラしない服装や体形をしていたら、せっかくのワインの酸がサービスマンの印象で台無しになったりして~って話。でも料理人だったら福々しい方のほうが美味しく感じることもあるのでケースバイケースでしょうけど。中華だったら 周富徳 << 陳建一 みたいな。(古っ)

 

以上