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【ドイツ】モーゼル - 歴史 - 『クレメンス・ヴェンツェスラウス』


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引き続き ドイツ・モーゼル地域 歴史 です。

 

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今回は前回からの続きで ↑赤字□ の真ん中の箇所

 

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ソムリエ教本('20) 126ページ の

1786年にトリーア大司教で選帝侯だったクレメンス・ヴェンツェスラウスが、劣った品質のブドウを引き抜いて優れた品質のワインを産する苗木を植えるように命じたことが、モーゼルで広くリースリングが栽培される契機となった...」

 

ココ↑ を 深掘りしてみたいと思います(; ・`д・´)!

 

▼『クレメンス・ヴェンツェスラウス』について

de.m.wikipedia.org

↑Google 翻訳(超オススメ)

まず、いきなり限りなく結論に近いですが、

↑翻訳ページ を読むと面白いですよ~。

これを軸に解説していきまっす。

 

▼ザクセン出身!

さて、そこそも彼の出生は ↓神聖ローマ帝国 の 連邦国である ↓ザクセン選帝侯(領) というところ! ここが 本国 (神聖ローマ帝国) のOKを取り付けて ↓ポーランド王 も兼任 していました。

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ザクセン選帝侯領 - Wikipedia

 

▼彼の祖父は...

ちなみに 彼のお爺さん (=祖父) は 西洋白磁で有名な マイセン の生みの親(まぁ、職人に作らせたのですが....) で 彼の父親 (=唯一の正式な子供) 以外に 最大365人の子供を残した肉食系 だったそうな...( 一一;) カール大帝辺りからこのクダり多い...

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

 

▼彼の父親は...

続いて 彼のオヤジ (=父親) ですが、 戦争 / 政治のセンスが無かったのか  ↑プロイセン王国 対 ↑オーストリア などの7年戦争 で オーストリア側 についてしまい、プロイセン王国 に ザクセンを 侵攻されてしまっています...( 一一;) んで ポーランド に 逃亡 → 反撃せず

でも、それ以前には子供達を ヨーロッパの王室 に嫁がせる事に成功!

・マリア・アマリア(1724年 - 1760年) - 1738年、スペイン王カルロス3世と結婚

・マリア・ヨーゼファ(1731年 - 1767年) - 1747年、フランス王ルイ15世の長男ルイ・フェルディナンと結婚

...↑の2人はクレメンスお姉さんね。

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

 

▼彼自身は...

で、彼自身 は ↑七年戦争 の ↓トゥルガウの戦い を機に リウマチ が理由で 聖職者 に転向...( 一一;) 戦時中の「赤紙」逃れた感じ?

クレメンスウェンツェスラウスは1760年にウィーンでオーストリアの兵役に就き、 トルガウ戦いに 陸軍元帥 (1760年11月3日)として参戦しましたが、健康が不安定で頻繁にリウマチがあったため、精神的な地位を選び

ja.wikipedia.org

 

▼まさに「リースリングの父」!

その後、ラッキー☆ か コネのチカラ なのか トリアーの大司教選帝侯 に選ばれ、リースリングの普及に寄与 しましたYo! って話なんですが...

 

↓ドイツ語訳は雑だけど 詳細まで出てる のが面白い

Google 翻訳(超オススメ)

1787年※10月30日、彼は国内ブドウ栽培の質を改善するために主権条例を発行しました。 その後、7年以内に、「レニッシュ」と呼ばれるブドウの属が、特性が低く、酸が多すぎるブドウを一掃し、「良い」ブドウに置き換え、 リースリングを意味するようになりました。 この取り決めは、トリーア選挙人の全領域で厳密に実装されました。 次のようなトリアー地域の周辺地域のみ Nittel(ニッテル)Wincheringen(ヴェンヘリンゲン)Nennig(ネニッヒ)Besch(ベッシュ) 、およびPerl(ペルル)の近くの上部(流)モーゼルで、フランスおよびルクセンブルグ公国とのコンドミニアムがしばしばあったので、この命令はクトリエ当局によって直接執行することができませんでした...↓

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教本と1年ズレてますがご容赦下さい。

 

▼時代背景のまとめ!

クレメンス は、実は他にも 立派な城・劇場、水道管を作ったり、嵐の日に教会の鐘を鳴らせば収まるといった迷信をいさめたり、教育を充実したり...トリアーの文化の発展に大いに貢献した んだけど、ナポレオン 率いるフランスが台頭してくると、トリアーから撤退して故郷のザクセンに逃れたってわけ。

お時間許せば是非じっくり読んでみてっ☆彡

Google 翻訳(超オススメ)

この辺りの時代背景が前回ご紹介した↓動画15分06秒~ 「フリードリヒ大王」の7年戦争 ~ ラストまで


【ゆっくり解説】プロイセン王国

 

(おまけ)

↓2点は今回たまたま調べてたら見つけたオススメのページです。

 

ドイツ 歴史 キーワード

今回のクレメンス・ヴェンツェスラウス以外にも素晴らしくまとまってます☆彡

www.winesofgermany.jp

 

モーゼル・ザール・ルーヴァ― テロワール

かなり詳細な内容本気で日本語訳してて気合が入ってます。

モーゼルの『土壌の鬼』になりたい方は是非!

上流と下流の温度差が分かる地図とか欲しかったのよ~。

https://www.winesofgermany.jp/tourism/mosel/Mosel_Terroirbrochure_2010_Ja%20.pdf

 

・・・

 

ちなみに、ワインの保存料である 亜硫酸塩 を使い始めたのも実はこの時期

www.wine-searcher.com

But it wasn't until the 18th Century, he explains, that Riesling was likely produced here as a single varietal. That began to change when prince-bishop Clemens Wenceslaus(クレメンス・ヴェンツェスラウス), Elector of Trier, ordered growers to replace non-Riesling varieties with Riesling in 1787. Around the same time, Weis says, winemakers began using sulfites(亜硫酸塩) to preserve their wine, giving varietal wines an opportunity to maintain purity for years. Sulfur, of course, binds with oxygen and other components that can lead to oxygenation, and the eventual dissipation of a wine's unique character.

 

 

えー、今回の内容をまとめておくと...

・爺=マイセン / やり〇ン

・父=娘2人をヨーロッパ王室と政略結婚 → ポーランドに逃げる

・本人(クレメンス)=聖職者になって戦争から逃げる → トリアーでまったり:リースリング栽培などに寄与 → 故郷ザクセンに逃げる

...みたいな人生。

 

個人的には、1歳下の妹で同じく聖職者だった クニグンデ を コブレンツの宮廷 (モーゼル内 - ↑地図参照) に招いてから晩年まで一緒に過ごしたってのがツボ。

アウグスト3世 (ポーランド王) = 父 - Wikipedia

マリア・クニグンデ(1740年 - 1826年) - トルンおよびエッセンの女子修道院長

  

(次回に続く)

 

 

【編集後記】

今回も気に入ったピンタレスト!

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https://www.youtube.com/watch?v=ZFoJYI7Q4iA

 

以上