引き続き ドイツ・モーゼル地域 の 歴史 です。
▼お題
今回は プロイセン王国時代の ↑□ 部分で
ソムリエ教本('20) 126ページ
「1868年にはプロイセン政府がブドウ畑の格付け地図を作成したが、これが現在のVDP. Die prädikatsweingüter(プレディカーツヴァイン醸造所連盟)が行っているブドウ畑の格付けの基礎に使われている」
ここを深掘りしてみたいと思います!
▼プロイセン政府時代の動画
まず、ちょっと懐かしい動画ですが以前にご紹介したコチラの7分45秒~9分02秒をご覧下さい。
▼『格付け地図』作成の流れ・詳細
(赤字以外はテキトーに読み流して下さい↓)
https://glossary.wein-plus.eu/prussian-location-classification
19世紀の初めから、フランスからの大規模な競争と比較して、ワインの品質はドイツのワインにとってますます重要な競争要因になりました。 ナポレオン皇帝(1769-1821)は、1804年頃に「ワインの分類」を作成しました。ラインラントは当時フランスの一部だったため、世界的に有名なフランスの場所と同じ評価原則が適用されました。 最高の場所は、 Grand Cruが分類したとおりです。 1815年6月にナポレオンがウォータールーで敗北した後、ラインラントはウィーン会議でプロイセンの州となりました。
地域的重要性から、ルイ14世以来フランスの侵攻をたびたび受けた。ナポレオン戦争(1803-1815年)の際には、ライン川西岸一帯がフランスの占領下に降ることとなった。1815年のウィーン議定書によってプロイセン王国に割譲され、1822年よりラインラント県がおかれた。周辺地域の豊富な地下資源とライン川による物流という地理的優位性から、ドイツにおける工業化の中心地となり、1871年のドイツ帝国成立後も工業地帯として発展した。
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そもそもモーゼルを含むラインラントはフランスの占領下だったので格付けをしないといけない素地があった!
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(いっぽう、お隣フランスでは...)
日本で一番詳しい「1855年メドック格付け」の裏側 | エノテカ - ワインの読み物
1855年にメドックの格付けがキャンペーンとして大ヒット!
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Clotten’s 1868 Viticultural Map of the Saar and Mosel – Lars Carlberg: Mosel Wine
Steuerrath Clottenのザールとモーゼルの地籍図は、1868年に最初に印刷されました。プロイセン王国から委託され、1869年に出版されたOtto Beckの本「 Der Weinbau an der Mosel und Saar」 (モーゼルとザールのブドウ栽培)と一緒に出版されました。 (フリードリヒヴィルヘルムデュンケルベルクのラインガウ地図は1867年に印刷されました。 * )対照的に、1855年の有名なボルドーの分類は、特定のシャトーのブドウ園の土地が他のシャトーよりも優れていることを示唆していましたが、地所のランキングでした。
プロイセンの税務当局は、1816年から1832年までの期間のさまざまなモーゼルのブドウ畑の収益額を使用して、固定資産税を設定しました。 1868年のブドウ園の税の地図は、地図製作者のAdam Georg Dienzによる最初の版でした。 初版はベルリンでグラスナーによって出版され、他はトリーアの出版社であるジェイコブリンツによって出版されました。 第4版と最終版は1906年に印刷されました(これについては後で説明します)。
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政府の依頼で地図を作ったものの、当初の目的は固定資産税の徴収!
Clotten’s 1868 Viticultural Map of the Saar and Mosel – Lars Carlberg: Mosel Wine
Clottenは、ワインの品質や価格だけでなく 、収量や人件費を含む純利益に基づいて、ブドウ畑を8つの税区分にランク付けします。ただし、8つのクラスは 、マップの目的で3つに簡略化され、最高からマークされています。濃い赤、淡い赤、ベージュで最低に。 ScharzhofbergやMaximinGrünhäuserAbtsberg(当時はMaximinGrünhäuserHerrenbergと呼ばれていました)などのいくつかの有名なサイトは濃い赤で色分けされていますが、 Clottenはマップ上の丘の中腹の名前だけをリストします( SarzbergやGrünhausberg (SaarおよびRuwer内など))それぞれ谷)。 彼はカルタウザーベルクなどの他のブドウ畑でも同じことをしています。 さらに、現在高く評価されているいくつかのサイトは、たとえあったとしても、ランクが低くなっていました。 たとえば、ザールでは、カンツェマーアルテンベルクとザールバーガーラウシュはリストされていませんでした。 "Canzemerberg"のワインは後に認知度が高まるでしょうが、今日のラウシュはより低価格でランクが低いままでした。 今日、主要な生産者協会であるVDPは、モーゼルリースリングの多くの愛好家がそうであるように、ブルゴーニュのグランドクルー(〇 : グラン・クリュ)と同様に、両方のブドウ畑をグロスラージ(〇 : グローセ・ラーゲ)と評価しています。 オベレンメルとその周辺のいくつかのブドウ畑など、かつて素晴らしいと考えられていた他の場所は、今日ではあまり評価されていません。
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純粋に畑だけじゃなく利益率で考えてる辺りが真面目なドイツ人っぽい(笑) ↑動画では3つのランクに分けたと言ってたけど、実は8つのランクまであった模様w
あと、VDPの格付けのランクのグローセ・ラーゲってのは試験によく出るので覚えておきましょう↓ 畑は昔と比べて栄枯盛衰があるみたいですね~。
https://glossary.wein-plus.eu/prussian-location-classification
分類は最初に1868年にトリアー地区で行われ、1897年にコブレンツ地区でのみ行われました。 当時のモーゼル (モーゼルザールルーバー)の栽培地域は、約6,100ヘクタールのブドウ畑で構成されていました(現在は約10,000ヘクタール)。 そのうちの9%(560ヘクタール)のみが最初の3つのクラスに分類されました。
最高品質のブドウ畑の場所は、南から南西に並んでいます。 最高のワインは、日光( 博覧会 )がほぼ垂直である丘の斜面または急な斜面を栽培することが難しいもので育ちます。 状況が一部変更されたため、プロイセンの分類はもちろん今日、批判的に見られる必要があります。 しかし、これには大きな歴史的意義があります。 2006年に採用されたVDP分類モデルは、 モーゼルとニア(〇 : ナーエ)が使用する2つの栽培地域の分類された個々の層の参照として使用されました。
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↑の文章を読んで、トリアー、コブレンツ、ナーエ(モーゼル地域ではない)の場所がピンとこなければ↑地図を要チェック!
最初は全体の1割ほどしかできてなかったみたいですね (笑)
ちなみにVDPの格付けはモーゼルとナーエのものを手本にしたようです。
▼まとめ
よくワインバーやレストランなんかでワイン産地の地図が壁に貼ってあったりするのを見ますが、19世紀の商売人が「フランスさんが格付けなら、こっち(ドイツ)は川の地図や~(; ・`д・´)」って考えたマーケティングツールが見事に当たった名残りかもしれません (笑)
そもそも税金を決めるためとか、やってる事は太閤検地みたいなもんですが、ヨーロッパだと何故かオシャレに感じてしまう罠。
VDPの格付けのルーツ≒秀吉って認識でOK?
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【編集後記】
(クラウゼヴィッツは今回テーマのプロイセンの将軍ね。)
先日、たまたま↑の本を読んでて気になったのが↓の2つ。
「流血をいとう者は、これをいとわぬ者によって必ず征服される」
「戦争は厳しいものであり、博愛主義のごとき婦女子の情が介入する余地はない」
↓の記事に追記しましたが、試験の点数というのは非常にシビアなので、流血=お金と考えると...
以上