ソムリエ・ワインエキスパート試験に絶対に合格したいアナタへ!

独学での勉強方法をご紹介。オリジナル問題集や過去問を解いていただきながらポイントを解説します。


【ドイツ】モーゼル - 歴史 - 【神聖ローマ帝国】 → 【プロイセン王国】 → 【ドイツ連邦】の流れ +『聖ヤコブス施療院』

引き続き、ドイツ・モーゼル地方歴史 です。

 

▼時代の流れ

今回から取り上げるのはつの時代 辺り。

【神聖ローマ帝国】962~1806年

【プロイセン王国】1701~1918年

【ドイツ連邦】1815年~

予習 を兼ねてお時間が許せば ↓動画 をご覧下さい。(25分44秒)

前回からの神聖ローマ帝国が、どうやってドイツ連邦になっていくか?が一発でわかります!


【ゆっくり解説】プロイセン王国

 

▼年表

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で、今回から3回に分けて↑(赤□部分)を取り上げます。

 

その 1つ目

▼『聖ヤコブス施療院』 @ トリアー

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ソムリエ教本('20) 126ページ

「1464年のトリアーの聖ヤコブス施療院(せりょういん)会計簿に、リースリングの苗木を植樹したという記録があり、これがこの品種の最古の言及の1つである。」

...とあります。

※神聖ローマ帝国時代

 

↑施療院 とは 平たく言えば  病院 のこと。

こちらが スペインの ガリシア地方↓ にある 聖ヤコブ の遺骸(いがい) を目指す キリスト教徒 の 巡礼者 を世話してました。日本風に言えば『お遍路さん』や『お伊勢さん』とかの 宿坊リースリングも育ててましたyoってニュアンス。

  

この史実にちなんだ ワイン がコチラ。

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トリアー慈善連合協会|ワインのあるライフスタイル もっと!ワイン

Vereinigte Hospitien, Triern

↑Google 翻訳 (おすすめ) 

 

↑イラストに ホタテ が書いてますが ワンランク上を目指す方 は↓も読んでおきましょー。奥の細道ならぬ「ホタテの道」~ (仏 chemins de saint jacques 英 way of st. james)

ameblo.jp

ja.wikipedia.org

サンティアゴ・デ・コンポステーラ - Wikipedia

コンポステーラ の 由来 は ラテン語で 「Campus stellae」(星の野)、「Compositum」(墓場)、「COMPOSĬTA に 示小辞 ĔLLA 」(良い場所・ふさわしい場所)

 

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ヤコブ (ゼベダイの子) - Wikipedia

9世紀ヤコブの遺体とされるものが、遥か遠くスペインの、現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラの地で”奇跡的に発見された”とされる 

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さてさて、ちなみに遺骸が見つかった(...とされる)のが↑9世紀だから 施療院 が運営されてたのは 500年後 くらいの話 (; ・`д・´)!

 

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サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 - Wikipedia

伝説によれば、イエス十二使徒の一人聖ヤコブエルサレムで殉教したあと、その遺骸はガリシアまで運ばれて埋葬されたとされる

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さらに↑を読むと 気持ち悪い ですが、ちょうどその頃 イベリア半島 では イスラム勢力 と争う レコンキスタ (718~1492年) をやっていた 真っ最中 だったから、政治・宗教・観光的な神輿(みこし) として創作・利用されたのでは?という気が...( 一一;) 日本でも国が乱れる度に大仏を作ったり、神道・天皇制 でまとめようとしてたりしてますね。

 

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(同上)

... また、巡礼は当時イベリア半島を支配していたイスラム教国へのレコンキスタとも連動した。ヤコブはレオン王国などキリスト教国の守護聖人と見なされ、「Santiago matamoros」(ムーア人殺しのヤコブ)と呼ばれるようになった。キリスト教国の兵士は戦場で「サンティアゴ!」と叫びながら突撃したという。キリスト教国の諸王は巡礼路の整備や巡礼者の保護に努めた。

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先ほどの ワインのラベルは可愛かった♡ ですが↑を読むと わりと激しい 感じ。歴史的にみても「アッラー・アクバル(=神は偉大なり)」と言ってテロを起こす近年のイスラムの方々を決して非難できません。

 

(おまけ)

巡礼 に興味を持った方は↓

やっぱりヨーロッパ版『お遍路さん』だ!!


The Way Of Saint James - The Camino Of Santiago Video Guide - Travel & Discovery

 

(次回は、【神聖ローマ帝国時代】 と 【プロイセン王国時代】 の転換期にいた、トリアー大司教で選帝侯だった クレメンス・ヴェンツェスラウス を取り上げる予定です。)

 

 

【編集後記】

時代の流れ とか 聖ヤコブ とか ホタテ貝 とか 巡礼 とか、試験的には全く不要ですが、せめて 1つのキーワードを覚えるにしても、ただただ丸暗記するのではなく、その理由や意味を知っておいた方が後々強い のではないのかな?と思います。というのが、僕自身、付け焼刃的に覚えた知識は忘却の彼方ッス( 一一;)

 

さらに言えば、合格後、資格者に求められるのは 丸暗記した内容 ってよりも、その人自体が醸し出す "知的さ" や "博識さ" といった雰囲気 なので、こういったヨーロッパ文化の背景を知っておくのは それなりに有意義なこと なのではないかと。

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以上

【ドイツ】歴史 - 神聖ローマ帝国時代編 -『シトー派 エーバーバッハ修道院』@ ラインガウ

引き続き ドイツ 神聖ローマ帝国時代 です。

↓962~1806年ごろ。この頃の時代背景はコチラ

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...だけど、今回は モーゼル(地域) ではなくラインガウ(地域) です。

ここまで「モーゼル縛り」でやってきましたが、時代が同じなのでまとめておきますm(_ _)m

 

で、今回とり上げる ワン・イッシュー はコチラ↓

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ソムリエ教本('20) 114ページ

「...シュペートブルグンダー(ピノ・ノワール) は...1136年(※)に設立された シトー派エーバーバッハ修道院 が 本拠地のブルゴーニュから持ち込んだ説がある...」

※この年は神聖ローマ時代(962~1806年)内

 

...とありますが、まず 修道院の位置 は↓

前述の通り、ドイツ国内の13地域の中でも ラインガウ にあります。

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Eberbach Abbey - Wikipedia

↑日本語訳 - Google 翻訳



せっかくなので 動画 もみておきましょー。

↑のまんまの内容ですが、ライブ感 が大切!


Weinkloster Eberbach (english)

映画「The Name of the Rose」のロケで使われたと言ってるけど↓

【Youtube】日本版予告篇 / 薔薇の名前 (ショーン・コネリー) - 日本公開は1987年


さてさて、続いて

シトー派 というキーワードですが...

 

ワインの勉強をしているくらいなら 神の雫 を読んだ方も多いかもしれませんね。その中に ロベール(爺さん) という登場人物がいます。公園で 隠遁(いんとん)生活 を送る世界的なワイン通。たまに主人公にアドバイスしたり、ライバルとのワイン勝負のジャッジをしたりするキャラなのですが...

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神の雫 - 登場人物 - 土肥 ロベール(どい ロベール)- Wikipedia


で、なぜ唐突に このロベール爺さん を出してきたかっていうと、シトー派を始めた のが ブルゴーニュ地方 出身 の モレーム の ロベール という名前の 修道士 だったから。(名前からキャラ設定まで↓が元ネタだと思うんだけど当たってますかね?...教えてエラい人!!)

ja.wikipedia.org

改革を希求したフランスブルゴーニュ地方出身の修道士モレームのロベール(Robert de Molesme, 1027年 - 1111年)が1098年、フランスのシトーに設立したシトー修道院が発祥である。シトー会は、「聖ベネディクトの戒律」を厳密に守り、彫刻や美術による教示を禁止した点で、既存のベネディクト会修道院、とりわけクリュニー会(戒律のうち祈祷を重んじ、豪華な典礼を繰り広げ貴族的とも評された)と対峙する立場をとった。服装面にもその姿勢は現れており、壮麗・華美なクリュニー会と異なって染料を用いない白い修道服を着たことから、シトー会士は「白い修道士」とも呼ばれる。シトー会は戒律の中でも労働と学習を重んじ、自ら農具をとり農民らを指導して、森林に覆われていた北フランスの開墾や新農法の普及を行った。

 

まぁ、平たく言えば シトー派 っつーのは...

世俗にまみれた 他のシャーマン的な会派 に嫌気がさして「俺らは 畑耕して頑張るッスわ (; ・`д・´)!」って決めた人達 だったって認識でOKかと。

www.youtube.com

 

これは オマケ ですが、もうちょい調べてみると

ただただ「彼らがマジメだったから修道院やワイン造りが発展した」ってワケでもなく、本部にあたる ローマ教皇への献金(↓十分の一税)が免除されていた ってのもあるみたい。

medium.com

The monks also had the support of the Popes and did not have to pay tithes(↓十分の一税) on their produce, giving them a comparative advantage which led to a ready surplus on their accounts.

十分の一税 - Wikipedia

 

ついでに、↑ページでも出てましたが シトー派 の ブドウ畑 と言えば 仏ブルゴーニュ地方 コート・ド・ニュイ地区 最大 のグラン・クリュクロ・ド・ヴージョ が有名みたいです。歴史に シトー派 などの 修道院 もカラめて紹介されているので是非ご覧下さい。


The History Of Winemaking In Burgundy

Clos de Vougeot(クロ・ド・ヴージョ) - Wikipedia

↑Google 翻訳

※12~14世紀に修道院が購入したり寄贈された土地を寄せ集めてブクブクと太ったところに囲い(城壁=クロ)を付けたらグラン・クリュ畑としては一番デカかったってオチか...( 一一;) 結局18世紀のフランス革命後に没収されちゃうんだけどね~。

 ナポレオン法典1 | ろくでなしチャンのブログ

【Youtube】映画『おかえり、ブルゴーニュへ』予告編

↑動画のナポレオンが定めた相続においての土地分割の法律とか勉強になったけど、そういや↑の映画も、そこが争点だったなぁ。。。(遠い目)

 

(次回も神聖ローマ時代編が続く予定です。)

 

 

最後に今回もピンタレストで見つけた 心に刺さったイラスト を貼っておきます。stay foolish stay hungry !!

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以上

【ドイツ】モーゼル - 歴史 - 神聖ローマ帝国時代編 -『ザンクト・マキシミン修道院』

ご無沙汰しております。

久々の投稿になりましたが...

 

▼「神聖ローマ時代」の説明

引き続きドイツ・モーゼル地方 の歴史 神聖ローマ帝国時代編です。

962~1806年ごろ。

 

やはり、この年表を出しておきます。

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ポイント

前回の フランク王国時代 現在のフランスの前身(=ご先祖さま)になる国 にドイツ(もちろんモーゼルも) が支配されてましたyo!って話なんですが、

 

今回の 神聖ローマ帝国時代現在のドイツ、オーストリア、チェコなどの前身(=ご先祖さま)になる国 だったころの話。(分裂する前の...)

 

毎度ですが、↑の年表を要約したのが↓の動画  作者の方はネタに走らず為になる動画を量産して欲しい。。。すげぇ才能。哲学の歴史とかサイコー。


小学生でもわかる西洋史・神聖ローマ帝国時代【西洋史第4弾】

 

 

詳細を知りたい方は↓

ja.wikipedia.org

 

紋章がなんか...

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鷹の爪.jp|鷹の爪団公式ポータルサイト |

 

さてさて、今回からキーワードを1つ取り上げるくらいの ワン・イッシュ―形式でいきたいと思います。某政党は先日2つに増えたみたいですが...

 

▼ザンクト・マキシミン修道院について

で、今回取り上げるのはコレ

『ザンクト・マキシミン修道院』


Germany's Oldest Church - Trier Cathedral (Dom)

トリーア大聖堂 - Wikipedia

聖マキシミン帝国修道院(ドイツ語翻訳)

Google マップ- ehemalige Abteikirche St. Maximin

 

もちろん試験では出ません特徴 を挙げておくと...

 

ドイツ最古ってか西ヨーロッパで最古

4世紀ごろ古代ローマ時代の建造物の上に建てられた。

 

・名前の由来にもなった司教マキシミン(~346)は、イエスの神性を認めないアリウス派に強く反対

三位一体[神・イエス・精霊]って有名だけど、昔は二位?[神・イエス]すら1つじゃないとかモメてたのね。宗教の世界は激しい。あ、ナチスにまで繋がるのか...( 一一;)

Maximin of Trier - Wikipedia

アリウス派 - Wikipedia

定義 アリアニズム. どのような言葉を行います アリアニズム?(ナチスの記載あり)

 

イエスのまとっていた布(=ローブ)が納められている!

↑少年の動画

 

・中世は魔女狩り、近代(戦時中)は駐屯地、現在はコンサートホールにも!

どうやら音の響きが良いらしい。 ↑ドイツ語翻訳より

【悪魔学】魔女裁判!中世ヨーロッパの闇の歴史を解説!

 

・882年にノルマン人に破壊される、1674年 - フランス兵に破壊される、WW2で破壊される

ノルマン人 - Wikipedia

フランス北部の ノルマンディー地方 って、この教会を壊した「ノルマン人」からきてたのね...汗

 

さてさて、ソムリエ教本には「...中でもトリーアの (同修道院) は西ローマ帝国 滅亡後(↑年表参照) に モーゼル一帯に多数の所領を所有し、現在も畑名や醸造所名に使われる...とあるけれど

 

↓みたく「マキシミン」って名乗ってるとこ が あるよね!ってコト。

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watanose111.wixsite.com

 

ちなみに ↑マキシミン・グリュンハウス は トリアー から少し離れた ↓ルーヴァ―(タール) に位置。復習も兼ねて場所を確認しておこう!

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もとい、こちらによると...

Religion & Alcohol: Sobering Thoughts - Google ブックス

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ja.wikipedia.org

これが、ザンクト・マキシミン修道院がワイン畑を多く所有していた理由なのね~。前後の文を読むとこの時代 宮廷でワインが人気だったってのもあるみたい。つまり諸侯をワインで骨抜きにさえできれば教会は領地を貰えたというわけかな(´_ゝ`)? 考え方がゲスい。

 

(次回も引き続き神聖ローマ帝国時代のキーワードを取り上げる予定です。)

 

 

【編集後記】

たった1つのキーワードでも、時代背景とかをキッチリみていこうとすると内容が山盛り過ぎて 自爆。毎度、受験に役立たずで申し訳ないっすm(_ _)m

 

ワイン文化を語るにおいて 宗教的 な事柄にも多少関心を持っておいたら良いのでは? と思ったり。↓結婚式とかでもよく外国人の牧師さんがthe Father, the Son (Jesus Christ), and the Holy Spiritとか言ってますね。

ja.wikipedia.org

 

内容に含めれなかったけど。良い動画だったのでUP。十字架ローマのシンボル闘技場 の跡なんかもあるのか~。


Roman Monuments, Cathedral of St Peter and Church of Our Lady in Trier (UNESCO/NHK)

 

神聖ローマ帝国は、↑オットー2世 の 父、オットー1世 が始めたんだけど、前回の「フランク王国 時代のカール大帝があまりにも偉大だったので、神聖ローマ帝国 においても 初代皇帝 とする!」とか 歴史の「実は...」感ヤバい! 例えば、令和の次に 神聖江戸時代 が来るとして「初代将軍は家康でした!」とかいうのだろうか? みたいな( 一一;)

 

h30.jizokukahojokin.info

コロナの休業要請で5月末までウチの店舗は閉めてます。で、ヒマな割にブログのアップをしなかったのは以前にもお伝えしていた↑を書いていました。通れば良いんだけれど。

 

最近は スマホ で ピンタレスト(=Googleの画像アプリ) の絵をみるのにハマっています。こういうイラストって一瞬で大事なメッセージが伝わるのが凄い!受験者の方に大した内容はお伝えできませんが「こんな心構えでいて下さい!」↓という気持ちでおります。

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以上

【ドイツ】モーゼル - ソムリエ教本'20 の内容を...(略) - その3『歴史』編③ フランク王国編

さてさて、ドイツモーゼル地方の歴史の続きでフランク王国編↓です。

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前回ご紹介しましたが↓を見れば今回のフランク王国の時代が一撃で分かります!

【Youtube】小学生でもわかるローマ帝国崩壊後の時代の歴史

 

...ってことで、今回はドイツのモーゼル地方がフランク王国時代↑だった頃のポイントをだけを覚えましょう。

 

ポイント1

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王族教会に媚(こ)びを売りながら上手く立ち回ったヴェニス出身詩人ヴェナンティウス・フォルトゥナートゥス

558年 - モーゼルの急斜面で赤ワインのブドウ栽培の記述

https://en.wikipedia.org/wiki/German_wine#Early_history(←は 570年前後 - 赤の記載)

 

残念ながら相当マニアックな人物の為、日本語の気の利いた資料はありませんでしたm(_ _)m ご興味のある方は↓ 雑にまとめると↑イラストみたいな感じッス。

Venantius Fortunatus | French poet and bishop | Britannica(概要)

Venantius Fortunatus↑ | wiki(詳細)

クロタール1世 - Wikipedia(フランク王国創始者の息子)

Radegund - Wikipedia(ラデグンド↑)

 

せっかくなので、彼の詩が使われている讃美歌↓を聴いてみましょう!

なんか無印良品でかかってそう。わりと好きかも♡


24 - Pange lingua - Crux fidelis (Venantius Fortunatus)

↑詩の内容 = グレゴリオ聖歌「十字架賛歌」

 

ポイント2

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これはモーゼル地方だけの話ではありませんヨーロッパ全土に影響を与えた カール大帝(=シャルルマーニュ) を覚えておきましょー。

カール大帝 - Wikipedia

 

まず、カール大帝 って名前が シャルルマーニュと同じってのに違和感があるけど

シャルル Charle (英 : チャールズ) + マーニュ magne (英 ≒ マグナス=「偉大」って意) → 大帝 ね。

ドイツ語ではカール・デア・グローセ (Karl der Große) なので、こっちで日本語訳にしたっぽい。

 

で、やたら斜面の雪解けを見つけてはワイン畑をつくらせたという伝説を持っているんだけど...

・ドイツ → ラインガウ地方 - ヨハニスベルグ↓

(ライン川対岸[南側] - 現ラインヘッセン地方 の インゲルハイム↓から発見!)

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ドメーヌ シュロス ヨハニスベルク

Schloss Johannisberg - Wikipedia

 

・フランス → ブルゴーニュ地方 - コート・ド・ボーヌ地区 - コルトンの丘(あたり)↓

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https://en.wikipedia.org/wiki/Corton-Charlemagne#History_and_name



そうそう、彼はチーズでも有名 (↓はどちらも気に入ったもの)

・フランスパリ近郊の ブリー(白カビ タイプ)

・スペインバルセロナ遠征で ロックフォール (青カビ タイプ)

↑動画にもあったけど、あらためてカール大帝の支配した領土を見ておこう!↓にまとめておきました。

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ブリーチーズ - Wikipedia

ロックフォール (チーズ) - Wikipedia

ブリーとか日持ちするから飲食店としては使い易くて嬉しい...、反面、青カビにカビが生えた時の悲しさっつーたら...( 一一;)

 

所要時間:6分13秒


カール大帝とブルーチーズ(ロックフォールの歴史)

 

ポイント3

ja.wikipedia.org

ピノ・ノワールをドイツのボーデン湖畔(こはん)に持ち込んだというのある無能オブ無能(※) カール3世「肥満王」

※相続で東フランク王国継ぐ→前王さま死去のラッキー☆で西フランク王国継ぐ→戦争負け続ける→庶子(本妻以外の子)を後継者に立てて失敗

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ボーデン湖 - Wikipedia

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Wine Grapes: A complete guide to 1,368 vine varieties, including their ... - Jancis Robinson, Julia Harding, José Vouillamoz - Google ブックス

 

次回「神聖ローマ帝国時代」編に続く!

 

 

【編集後記】

今回は結局「フォルトゥナートゥスしかモーゼルに直接カンケーねーじゃねーか(; ・`д・´)!」という自分ツッコミですが「この際全部まとめとけ!」ってノリで詰め込みました。

 

フォルトゥナートゥスの話を読んでいると、貴族の要望になるだけ応えたモーツアルトのプロ根性を思い出したり...

fjst687120ym.blog.fc2.com

 

↑ボーデン湖のちょっと南、モナコと肩を並べるタックスヘイブンとして有名な「リヒテンシュタイン(って国)」↑なんかも教養として知っておいたら良いんじゃない?って気も。

manelite.jp

リヒテンシュタイン - Wikipedia

 

以上

【ドイツ】モーゼル - ソムリエ教本'20 の内容を...(略) - その3『歴史』編② ローマ帝国時代 (の残り)

どもー。前回の続きでドイツ・モーゼル地方歴史②です。

 

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↑の表はソムリエ教本の試験的なポイントをまとめたものなのですが、ローマ帝国時代の内容は期間の長さにしてはわりとスカスカですね~( 一一;)。でも、この時代こそモーゼルのワイン造りの基礎ができた大切な時期だったので全く試験の役には立ちませんもう少し補足しておきたいと思います。

 

ローマ帝国の成立~繁栄~滅亡まで流れを知ろう!

まず↑年表をみてもサッパリ...( 一一;)って方 >>

非常に分かり易い歴史の解説動画を見つけたので、苦手意識のある方は感じをツカむ為に見ておきましょう!

 

ギリシア → ローマ誕生まで (この際ついでに...) 7分37秒

www.youtube.com

 

ローマ誕生 → 繁栄

トリアーのローマ時の名称「アウグスタ・トレヴェロールム」は↓登場のアウグストゥスより。11分51秒

www.youtube.com

 

繁栄 → 崩壊 まで

少しローマ時代の後にできたフランク王国カール大帝(=シャルルマーニュ)とか出てくるけど、仏ブルゴーニュの白ワイン「コルトン・シャルルマーニュ」の人ね。7分33秒

www.youtube.com

Corton-Charlemagne - Wikipedia

A couple decades later, Charlemagne's fourth wife Luitgard was said to be displeased with red wine drippings on the white beard of the king and ordered that a section of the hill be pulled up and replanted with white grape varieties—a section that is today known as Corton-Charlemagne.

ちなみに「コルトン・シャルルマーニュ」の生産色が白だけなのは4番目の奥さんのルイガードが彼のヒゲが赤ワインで汚れるのが嫌だったから( 一一;) なんじゃそりゃ...

(すんません。脱線しました。)

 

さて、ここからが本題です。

ローマ人+奴隷のワインの消費量www

sciencevibe.com

で、まずこれ。 ローマ兵+奴隷が毎日3リットルのワインを飲んでいた(; ・`д・´)!と言われています(少なく見積もっても1日1リットルくらい)。そもそもワインは腐りにくい水の保存食って側面もあって軍事的にも利用されていたっつーのもあるのですが、人間の1日に摂取する飲料での水分量の目安が2リットルとしてとワインの水分の割合が75%、つまり2.6リットル分のワインを飲めば他の水分を取らなくてもOKって計算になりますが、健康にも良いからもう全部ワインでいいじゃん的なノリ★だったのではないかと。

 

vino-joy.com

ついでなんで↑ページ現在のデータと比較してみましょう!

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https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_beer#Early_beers

These beers were often thick, more of a gruel than a drink, and drinking straws were used by the Sumerians(シュメール人) to avoid the bitter solids left over from fermentation.(←おいこれマジか...) Though beer was drunk in Ancient Rome, it was replaced in popularity by wine.

他のお酒の選択肢が多い現代と比べるもなんですが、当時ビールはあったみたい。でもローマ帝国時代になるとワインが人気でこれ一択になってしまったのかもの凄い需要があったってわけ。こうなってくるとワイン造りを必死に考える(; ・`д・´)のも当然ですね。

 

ローマ人が急斜面でブドウ栽培をはじめた理由

で、↓によると...

https://en.wikipedia.org/wiki/Ancient_Rome_and_wine#Gaul(古代ローマとワイン - ガリア人) 

The Romans looked for hillside terrain(地形) in regions near a river and an important town. Their knowledge of the sciences included the tendency for cold air to flow down a hillside and to pool in frost pockets in the valley. As these are poor conditions under which to grow grapes, they were avoided in favor of sunny hillsides that could provide sufficient warmth to ripen grapes, even in northerly areas.

(イタリアより北にある) 寒い北部の地域でもブドウを育てやすいよう、川沿いの丘(≒斜面)の地形を探していたわけです。(↑動画でも北に攻め入ってましたね~。) そこに見事にハマったのがモーゼルってわけ。

 

いちおう、(急)斜面の↑ブドウ畑の仕組みを↓ページと合わせて解説しておくと...

How to prevent vineyard frost damage?(ワイン畑はどうやって霜を防ぐか?)

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霜がどうして起こるのか?を分かってない方は↓必見。

気象ひとくちメモ - 「放射冷却現象と霜」- 熊 本 地 方 気 象 台

 

実は急斜面+川沿いにブドウ畑を作ると平地に比べて...

・日照時間UP

 +日光が川の水面からも照り返す!

・冷気(+霜)が斜面をつたって下に流れる

 木(林・森)があれば冷気をブロック!

っー感じ。

 

以前にお伝えした保温性の高い青色のスレート(粘板岩)土壌なんかも狙ってたのか偶然あったのかは分かりませんが、寒いドイツの気候としてはラッキー☆としか言いようがありません。

 

ちなみに↓

The Oxford Companion to Wine - Google ブックス

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スレート(↑の石)に関しては足りなくなったら補充していました。(おそらく拾い集めていたのでしょう。) やや脱線しますが「美しいモーゼルの急斜面の畑はローマ時代から~♡と古代のロマンを感じたいところですが、一部の畑16世紀爆薬を使った発破工事で無理矢理作った模様( 一一;) マジカ... さらに↓を読むと当時としてはわりとお金をかけて急斜面の畑を増やしたのではないか?と想像できます。

火薬 - 歴史 - Wikipedia

ヨーロッパでの花火利用は14世紀フィレンツェですでにみられ、やがて欧州各地で祝祭などの際に盛んに花火が用いられるようになっていった。このほか、日本などでも大規模な催し物に花火は欠かせないものとなっていった。一方、障害物の爆破など土木工事に対して火薬を使うことは、黒色火薬時代にはそれほど行われることはなかった。これは、当時の火薬が爆破力・信頼性ともに低いうえ膨大な軍需によって常に品不足状態であり、そのため高価であって、工事に使用するには全く引き合わなかったためである。ただしまったく使用例がなかったわけではなく、鉱山掘削や運河の開削などでいくつかの使用例がある[17]

この辺り↓も読んでて面白い。爆薬に必要だから世界中の国が作る・集めるのに四苦八苦してたみたい(笑) もちろん日本も。

硝石 - 製造史 - Wikipedia

 

紀元 → 約1700年間も使われ続けたローマ人のブドウの仕立て方

もう少し細かいブドウの栽培方法としてはローマ時代から18世紀まで使われていたというカマーバウが有名。

https://en.wikipedia.org/wiki/German_wine#Early_history

Vine trellising(仕立て) according to the Pfälzer Kammerbau(カマーバウ) system traditional to the Palatinate, where it was widely used until the 18th century. In an all-wooden version (without the steel wires), this system is supposed to date back to Roman times.

当時は仕立て方"木の棒"を使ったものでした。現在は"鉄のワイヤー"ですが大きく変わってはいませんね(笑) ローマ人スゲー(; ・`д・´)

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ちなみにドイツ語で、カマ―=「房」、バウ=「建てる」って意味。

 

紅茶みたいにワインを飲む?

ワインの文化面としては、現在のグリューワインの原型ができたのもこの時期っぽいです。

Mosel (wine region) - history - Wikipedia

The Mosel wine of the Roman period was described as light bodied and "austere". It was said to be an easier drinking wine than that of other Roman areas. In the winter time, the wine was heated in a kettle and drunk like a tea (a practice that still has some tradition among modern vineyard workers who drink it like coffee,[clarification needed] often with a little sugar added).

↓はおそらく↑の流れなのではないか?と想像。もう紅茶みたいですね~。

www.bigoven.com

 

ローマ帝国時代のワインの価格 - 1壷分のワインは?

↑の動画の通り、このローマ帝国あたりの時代ってやたらめったら異民族と戦っていたのですが、ローマ人が造るワインは彼ら(異民族)にも人気だったそうです。ちなみにワインの価格は...↓

https://en.wikipedia.org/wiki/Ancient_Rome_and_wine#Gaul

When the Romans seized Massalia(現・仏マルセイユ) in 125 BC, they pushed farther inland and westward. They founded the city of Narbonne(ナルボンヌ) in 118 BC (in the modern-day Languedoc region) along the Via Domitia(ドミティア街道), the first Roman road in Gaul. The Romans established lucrative trading relations with local tribes of Gaul, despite their potential to produce wine of their own. The Gallic tribes(ガリア人の部族) paid high prices for Roman wine, with a single amphora worth the value of a slave.[6]

アンフォラ1つ分のワイン

=奴隷1人(の命)...( 一一;) オイッ

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ナルボンヌ - Wikipedia

ドミティア街道 - Wikipedia


ローマ帝国滅亡もワインが原因?

上に引き続き、そろそろオチを付けたいってところで...

https://en.wikipedia.org/wiki/Ancient_Rome_and_wine#Germania

Despite military hostilities, the neighboring Germanic tribes like the Alamanni(アレマン人) and Franks(フランク人) were eager customers for German wine until a 5th-century edict forbade(禁止) the sale of wine outside of Roman settlements. Wine historian Hugh Johnson believes this might have been an added incentive for the barbarian invasions and sacking(略奪) of Roman settlements such as Trier—"an invitation to break down the door."[13]

ちなみにアレマン人(現ドイツ付近にいた)ってのが前回ご紹介したモーゼルの詩「モゼラ」を詠んたアウソニウスが恋に落ちた奴隷の少女の出身の部族。フランク人ってのがゲルマン民族の1つで後のフランク王国(=後のフランス)をつくった部族。(↑年表+動画) 

アレマン人 - Wikipedia

フランク王国 - Wikipedia

最終的に(西)ローマ帝国将軍オドアケルの反乱により滅亡。帝国の体制が崩れたところにフン族に追い詰められたゲルマン人が流れ込み、フランク王国などヨーロッパの各国に分裂するわけなのですが、その侵略の理由「彼らがローマ人がトリアーとかで造ってるワインのファンだったからじゃないっスカ (´_ゝ`)?」とか言っておけばワイン通っぽいかもしんない☆彡

オドアケル - Wikipedia

フン族 - Wikipedia 

ゲルマン人 - 大移動 - Wikipedia

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(次回フランク王国時代に続く。)

 

【編集後記】

この記事について

ローマ帝国時代の面白そうな箇所を全部書き切ってみたところ非常に長くなり過ぎました( 一一;) あんま試験の内容だけに特化し過ぎるとペラくなる & 数年後、文章としての価値が陳腐化するかもしんない...ってのが書いてて悩ましいところ。分かりにくいところは「優しく・見捨てず」という方針。ここ数回で「リンク集」みたいにアレコレ見ていければ楽しいんじゃない?って気に。

 

近況 2020.04.21 火

とうとう休業要請に従い5/6(水)まで店を閉めました。バーって飲食店かと思いきや兵庫県の規定では遊興施設だったというのにビックリ。

 

思い出=筆者の心の師匠「バーテンダーは太るな!というのが...」

そんなこんなで「再開まで体がナマらないようにしなければっ☆彡」と思っています。↑は自分で心がけている事ですが続きは「(お客さんに提供する)酒の味がダラしなくなるから! 」だそう。まぁ飲食でも業種によって違うでしょうが、例えば今回テーマのモーゼルのキリッとしたリースリングなんかを出すソムリエがダラしない服装や体形をしていたら、せっかくのワインの酸がサービスマンの印象で台無しになったりして~って話。でも料理人だったら福々しい方のほうが美味しく感じることもあるのでケースバイケースでしょうけど。中華だったら 周富徳 << 陳建一 みたいな。(古っ)

 

以上

【ドイツ】モーゼル - ソムリエ教本'20 の内容をネチネチ解説する - その3『歴史』編①

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今回はドイツモーゼル地方の続きで歴史ついて~。

↑トリアーの位置は↓参照

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動画で大枠をつかもう!

とりあえず↓でモーゼルの歴史の全体像をつかもう! 復習にもなるよ~。 12分25秒


MOSEL - Faszination Wein (english version)

聞き取りが苦手なら↓原語(ドイツ語)版字幕を英語にするのがオススメ

https://www.youtube.com/watch?v=-F5Tx0h0yJw

 

年表にまとめた~

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雑で恐縮ですがソムリエ教本の関連する内容を世界史の年表に落とし込むと↑

それではやや長くなりそうですが以降ダラダラ解説していきます( 一一;)

 

ケルト人? エトルリア人?

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先ほどの動画の最初の方に出てましたが紀元前ごろモーゼル周辺に住んでいたケルト(人の)族貴族(Celt≒...の後ほど登場するトレヴェラー族)エトルリア(↑伊中部としましたがイタリアのトスカーナ辺り)から手に入れたワインを楽しんでいたとのこと。

 

でも、いきなり↑『貴族』ってなんでやねん(; ・`д・´)?...って感じですが理由は↓

Even before Roman times, the Treveri(トレヴェラー族) had developed trade, agriculture and metal-working. They had adopted a money-based economy based upon silver coins, aligned with the Roman denarius(銀貨), along with cheaper bronze or bronze-lead coins. Trade goods made their way to the Treveri from Etruria(エトルリア人) and the Greek world; monetary evidence suggests strong trade links with the neighbouring Remi(レミ族↓). Iron ore(鉄鉱石) deposits(の鉱床≒採掘できる場所) in Treveran territory were heavily worked and formed part of the basis for the area's wealth.[77]

鉄(の加工とか)で儲けてたから!

https://en.wikipedia.org/wiki/Treveri#Material_culture

 

雑ですが↓のイメージ。年表を見ると日本は1400年遅れくらいかな...

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(オススメ資料 - 歴史の知識が全く無い方へ)

「アーチ状」の建築物など高い文明を誇っていた...

エトルリア

元は遊牧民族。後のイギリスにつながる...

ヨーロッパに残るケルト人由来の地名 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

...いや、最近の説ではそうでもないかも( 一一;)  トレヴェラー族の記載(地図)あり

「島のケルト」は「大陸のケルト」とは別モノだった。というかケルトじゃなかったという話: 現在位置を確認します。

 

トリアー=ドイツ最古の都市!

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さて、以前は交易によって輸入してたワインですが、1世紀ごろトリアー一帯(いったい)がローマ人に支配された後は自前で作るようになります。

 

当時ローマ帝国は大ゲルマニアと争っていてトリアーは前線に近い重要な都市だったという図が↓

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https://en.wikipedia.org/wiki/Treveri#Geography

ゲルマニア - Wikipedia

 

The reasons for planting Rhineland were to cater to the growing demand of Roman soldiers along the Limes Germanicus (German frontier) and the high costs associated with importing wine from Rome, Spain or Bordeaux. 

https://en.wikipedia.org/wiki/Ancient_Rome_and_wine#Germania

ローマ(人)が敷いた道なんてありますね。このルートをたどって他の地域(ローマ、スペイン、ボルドーなど)から前線にいる兵士たちに食料やワインを輸送・供給していたのですが、他から運ぶより現地(=トリアー)で作った方が安い(; ・`д・´)!となったわけ。今でも製造業なんかによくあるケース。

 

ところで、当時のトリアーの正式名称がアウグスタ・トレヴェロールムだったんだけど「(初代ローマ皇帝)アウグストゥスが支配したトレヴェラー族の街」って意味でドイツとしては初の都市に。ちなみに『資本論』(1867年)で有名なマルクスの生まれもココ。もしかしたらワインこそ共産主義の生みの親かもね~。ブドウの栽培までしてたみたい↓

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

www.dpa-international.com

 

詩人アウソニウス?

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んで、上記の通り軍事的な理由でブドウ栽培・ワイン造りに本腰が入ったトリアーでしたが371年、現在のフランスはボルドー出身の詩人 アウソニウスが派遣され、当時のブドウ畑の様子をモゼラ(=モーゼルの意)というポエム(詩)に詠(よ)んだとされています。歴史上モーゼルのワイン造りの記述としては初!

 

ちなみにこんな内容↓

How does the stream color its trickling(したたる) floods with a shimmering(輝く) glow when Hesperus(宵の明星)' twilight shadows weave(織りなす) into the glowing evening glow(輝き). How the Moselle decorates itself so finely in the bright green of its hills. How the crests(模様) swing in the waves, glistening(光る) with golden light. From afar(遠く), the vine leaves tremble(揺れる) in the sight of the emitting(放つ) embers(残り火), and the grape glistens(キラキラ輝く) swelling(腫れる≒育つ) in the mirror of crystalline(クリスタルのような) tide(波). 

雑に訳すと(モーゼル)川とブドウ畑のなんと美しいことでしょう☆彡って感じ。↑は訳を入れ過ぎて読みにくいですが原文彼の出生に興味のある方は↓がオススメ。ボルドーの格付けで覚えないといけないオーゾンヌと繋がりがあるかも?とか面白い。

https://glossary.wein-plus.eu/ausonius

 

あ、そうそう、アウソニウスですがかなりのロリコンです。

Gratian liked and respected his tutor, and when he himself became emperor in 375 he began bestowing on Ausonius and his family the highest civil honors. That year Ausonius was made Praetorian Prefect of Gaul, campaigned against the Alemanni and received as part of his booty(≒戦利品) a slave-girl, Bissula (to whom he addressed a poem),

Ausonius - Wikipedia

Bissula (flourished in 4th century AD) was an Alemannic woman in the 4th century. She was captured by the Romans in 368 at a young age, and became a slave of the Roman poet Ausonius. Ausonius fell deeply in love with Bissula, and released her from slavery. He wrote a poem on her, de Bissula ("About Bissula"), which he sent to his friend Paulus.

Bissula - Wikipedia

ちなみにアウソニウス=310年生まれ

65歳で奴隷の少女にいれあげてポエムをよんだオトコ...( 一一;) 解放もしてるみたいだけど。日本だと一休(宗純)あたりか...。

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一休さんは、実はエロ和尚だったとは本当ですか?? - 一休宗... - Yahoo!知恵袋

 

 

全然話が進みませんが次回に続きます。

 

以上

【ドイツ】モーゼル - ソムリエ教本'20 の内容をウダウダ解説する - その2『ベライヒ(地区)』編

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どもー。今回はドイツモーゼルの続きっす。

↑コッコヘム / ブレム / カルモン の位置はモーゼル下流域にはいったとらへん↓地図参照!

 

さわり動画

まず復習からだけど、↓動画でモーゼルの環境を思い出して(; ・`д・´)!

先日勉強したのルーヴァ―タール↓で学費を稼ぐために実家のワイナリーを継いだ女性がモーゼルをご紹介↓ 4分51秒 才能あって良かったね~。やや旅サラダ感www


Recommended - The Moselle Valley | Discover Germany

 

覚えるべきベライヒ - 特徴まとめ

さて、次に試験的なポイントに入りましょー。

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この前のイラストのリサイクルで申し訳ないm(_ _)mですが、ソムリエ教本'2020 の内容をまとめると↑

 

6つのベライヒを覚えよう!

まず、6つのベライヒ(地区)上流から覚えよう!

南(下のほう)=ルクセンブルク-ドイツ国境付近のモーゼルトーア(=「門」の意)から北に向かって合流する川それぞれの名前の意味↑を確認していくと覚えやすいかも。面倒な方はせめてモーゼルの中心地であるベルンカステルの位置くらいは分かっておくと吉。

ここは絵本の世界?ベルンカステル クース【ドイツ】- ベルン=「熊」説

Bern (...の語源) - Wiktionary(ベルン=↑「熊」だけとは限らなさそう...実は 英バーナード / 仏ベルナール とかって名前もこれの変化形)

 

ドイツ語「ブルク」=城! 

ちなみにブルク (Burg) ってドイツ語でって意味。実はこの辺り「〇〇ブルク」だらけなんだけども...( 一一;) 興味ある方は↓

https://i.pinimg.com/736x/75/d0/55/75d055e032dcc1e785ded862c26d89be.jpg

 

土壌名は以前に...

ところで↑に コイパー、三畳紀、粘板岩(スレート)、流紋岩 など 土壌(どじょう)系のキーワードをちりばめてますが分からなければ↓を参照! 以前からちゃんとホノめかしてましたよっ。 

【地質】岩の種類まとめ … 花崗岩、スレート、シストなど

【ドイツ】モーゼル - ソムリエ教本'20 の内容をダラダラ解説する - その1『地理・土壌』編

 

↑青色粘板岩(スレート)について

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付け加えておくなら↑ヴェーレン付近の青色(の)粘板岩(スレート)土壌は日中に太陽の熱を蓄えておけるから寒い地域のブドウの栽培に良いってわけ。といっても別に青色だけが良いって意味ではなく、石の色が黒に近づく↓から

The blue slate rocks of the Mosel Valley in Germany retain(保持) heat from the sun which is great for the cool climate region.

Introduction to Soil Types and Wine | Wine Folly

質問コーナー(なぜ黒は熱を吸収しやすいのですか?)

 

(ワンランク上を目指す方にオススメ)

↓こんなマニアも..."I am a real fan of the Blue Slate"

Wine Spectator Declares Our Blue Slate Riesling a Smart Buy! | Dr Loosen

スレート≒石灰質。この辺りを分かっていれば通。素晴らしい記事です(脱帽)

ワインのちょっとマニアックな知識!粘土質に続き、石化質の土壌について! | 家ワイン

 

(追記)『岩の色』について

「↑おっ、キレイな岩やん。でも青いのはナゼ( 一一;)!?」と筆者と同じギモンを持たれた方も多いかと(笑) これは火山などの熱の影響で、その土壌に含まれる鉄分が地中などの酸素不足の状態で燃焼(≒酸化)した場合に青くなるようです。逆に以前にやったオーストラリアの「テラロッサ」の赤色なんかは地表(や水中)など酸素に触れる状態での通常の酸化。 ↓ややズレますが焼き物の世界(...の焼き方)に近いかと。

酸化焼成と還元焼成の違いについて - 土岐市

酸化鉄(さんかてつ)とは何? Weblio辞書 - 酸化鉄Ⅱ(≒青色)、酸化鉄Ⅲ(≒赤色)

http://www.city.seto.aichi.jp/files/rekishi/PHOT/57-6.jpg(化学式)

https://www.kojundo.blog/cp-bin/wordpress/wp-content/uploads/2017/11/9e72c1e449d8c2266bceb3a98540372b.jpg(=鉄は化学変化で色が多彩!)

テラロッサ - Wikipedia

 

分かりにくい地名

あと、ユルツィヒ村とかヴェーレン位置とかを見ておいて☆彡 中流ベルンカステル内(ない)でっす! 教本には名前しか載ってませんので...

  

ブドウ品種

地図にはエルブリングとか耳慣れない品種が書いてますね~。

↓ちょっと古いデータで恐縮ですが...

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白ブドウ品種としては基本的にリースリングがメインなんだけど1950~80年代前半に流行った安い甘口ワインを大量生産する為にエルブリングやリースリングの交配品種のミュラー・トゥルガウケルナーが重宝された歴史があるよ(; ・`д・´)!

ミュラー・トゥルガウ - Wikipedia - (ブドウ品種の歴史を参照)

https://en.wikipedia.org/wiki/Mosel_(wine_region)#Viticulture(←この辺りも面白い!)

 

赤(=黒ブドウ)は上品 / 繊細なピノ・ノワール(≒独名シュペートブルグンダー)の対比として果実味やアロマがしっかりしたドルンフェルダー(交配=ヘルフェンシュタイナー x ヘロルドレーベ) オシ(; ・`д・´)!↓07:57~モーゼルの赤について


Mosel Wines - Moselweine - Germany: Wines of Moselle Valley - German Riesling Wine

交配品種の話 3 ドルンフェルダーの盛衰 - ドイツ生活情報満載!ドイツニュースダイジェスト

  

お時間が許せば他の品種も学んでおきましょう。

リースリングの品種の特徴、産地、おすすめワイン

ケルナーとは――味の特徴、おすすめワイン、主な産地をチェック

「エルプリング」を詳しく解説 - ワインリンク

 

※エルブリング ⇔ エルプリング 重箱の隅ツツキ系の方へ >> サーセン!!

 

 

内容盛り込み過ぎなので、今回はここまで~。

次回はモーゼルの歴史やら覚えるべきブドウ畑について書く予定です。

SNS(twitter & FB)にはある程度内容をまとめてリンク集にしてから投稿しようかと。けっこー公開した次の日に記事イジってるし(汗)

 

以上