ソムリエ・ワインエキスパート試験に絶対に合格したいアナタへ!

独学での勉強方法をご紹介。オリジナル問題集や過去問を解いていただきながらポイントを解説します。


【ドイツ】モーゼル - ソムリエ教本'20 の内容をネチネチ解説する - その3『歴史』編①


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今回はドイツモーゼル地方の続きで歴史ついて~。

↑トリアーの位置は↓参照

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動画で大枠をつかもう!

とりあえず↓でモーゼルの歴史の全体像をつかもう! 復習にもなるよ~。 12分25秒


MOSEL - Faszination Wein (english version)

聞き取りが苦手なら↓原語(ドイツ語)版字幕を英語にするのがオススメ

https://www.youtube.com/watch?v=-F5Tx0h0yJw

 

年表にまとめた~

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雑で恐縮ですがソムリエ教本の関連する内容を世界史の年表に落とし込むと↑

それではやや長くなりそうですが以降ダラダラ解説していきます( 一一;)

 

ケルト人? エトルリア人?

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先ほどの動画の最初の方に出てましたが紀元前ごろモーゼル周辺に住んでいたケルト(人の)族貴族(Celt≒...の後ほど登場するトレヴェラー族)エトルリア(↑伊中部としましたがイタリアのトスカーナ辺り)から手に入れたワインを楽しんでいたとのこと。

 

でも、いきなり↑『貴族』ってなんでやねん(; ・`д・´)?...って感じですが理由は↓

Even before Roman times, the Treveri(トレヴェラー族) had developed trade, agriculture and metal-working. They had adopted a money-based economy based upon silver coins, aligned with the Roman denarius(銀貨), along with cheaper bronze or bronze-lead coins. Trade goods made their way to the Treveri from Etruria(エトルリア人) and the Greek world; monetary evidence suggests strong trade links with the neighbouring Remi(レミ族↓). Iron ore(鉄鉱石) deposits(の鉱床≒採掘できる場所) in Treveran territory were heavily worked and formed part of the basis for the area's wealth.[77]

鉄(の加工とか)で儲けてたから!

https://en.wikipedia.org/wiki/Treveri#Material_culture

 

雑ですが↓のイメージ。年表を見ると日本は1400年遅れくらいかな...

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(オススメ資料 - 歴史の知識が全く無い方へ)

「アーチ状」の建築物など高い文明を誇っていた...

エトルリア

元は遊牧民族。後のイギリスにつながる...

ヨーロッパに残るケルト人由来の地名 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

...いや、最近の説ではそうでもないかも( 一一;)  トレヴェラー族の記載(地図)あり

「島のケルト」は「大陸のケルト」とは別モノだった。というかケルトじゃなかったという話: 現在位置を確認します。

 

トリアー=ドイツ最古の都市!

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さて、以前は交易によって輸入してたワインですが、1世紀ごろトリアー一帯(いったい)がローマ人に支配された後は自前で作るようになります。

 

当時ローマ帝国は大ゲルマニアと争っていてトリアーは前線に近い重要な都市だったという図が↓

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https://en.wikipedia.org/wiki/Treveri#Geography

ゲルマニア - Wikipedia

 

The reasons for planting Rhineland were to cater to the growing demand of Roman soldiers along the Limes Germanicus (German frontier) and the high costs associated with importing wine from Rome, Spain or Bordeaux. 

https://en.wikipedia.org/wiki/Ancient_Rome_and_wine#Germania

ローマ(人)が敷いた道なんてありますね。このルートをたどって他の地域(ローマ、スペイン、ボルドーなど)から前線にいる兵士たちに食料やワインを輸送・供給していたのですが、他から運ぶより現地(=トリアー)で作った方が安い(; ・`д・´)!となったわけ。今でも製造業なんかによくあるケース。

 

ところで、当時のトリアーの正式名称がアウグスタ・トレヴェロールムだったんだけど「(初代ローマ皇帝)アウグストゥスが支配したトレヴェラー族の街」って意味でドイツとしては初の都市に。ちなみに『資本論』(1867年)で有名なマルクスの生まれもココ。もしかしたらワインこそ共産主義の生みの親かもね~。ブドウの栽培までしてたみたい↓

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

www.dpa-international.com

 

詩人アウソニウス?

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んで、上記の通り軍事的な理由でブドウ栽培・ワイン造りに本腰が入ったトリアーでしたが371年、現在のフランスはボルドー出身の詩人 アウソニウスが派遣され、当時のブドウ畑の様子をモゼラ(=モーゼルの意)というポエム(詩)に詠(よ)んだとされています。歴史上モーゼルのワイン造りの記述としては初!

 

ちなみにこんな内容↓

How does the stream color its trickling(したたる) floods with a shimmering(輝く) glow when Hesperus(宵の明星)' twilight shadows weave(織りなす) into the glowing evening glow(輝き). How the Moselle decorates itself so finely in the bright green of its hills. How the crests(模様) swing in the waves, glistening(光る) with golden light. From afar(遠く), the vine leaves tremble(揺れる) in the sight of the emitting(放つ) embers(残り火), and the grape glistens(キラキラ輝く) swelling(腫れる≒育つ) in the mirror of crystalline(クリスタルのような) tide(波). 

雑に訳すと(モーゼル)川とブドウ畑のなんと美しいことでしょう☆彡って感じ。↑は訳を入れ過ぎて読みにくいですが原文彼の出生に興味のある方は↓がオススメ。ボルドーの格付けで覚えないといけないオーゾンヌと繋がりがあるかも?とか面白い。

https://glossary.wein-plus.eu/ausonius

 

あ、そうそう、アウソニウスですがかなりのロリコンです。

Gratian liked and respected his tutor, and when he himself became emperor in 375 he began bestowing on Ausonius and his family the highest civil honors. That year Ausonius was made Praetorian Prefect of Gaul, campaigned against the Alemanni and received as part of his booty(≒戦利品) a slave-girl, Bissula (to whom he addressed a poem),

Ausonius - Wikipedia

Bissula (flourished in 4th century AD) was an Alemannic woman in the 4th century. She was captured by the Romans in 368 at a young age, and became a slave of the Roman poet Ausonius. Ausonius fell deeply in love with Bissula, and released her from slavery. He wrote a poem on her, de Bissula ("About Bissula"), which he sent to his friend Paulus.

Bissula - Wikipedia

ちなみにアウソニウス=310年生まれ

65歳で奴隷の少女にいれあげてポエムをよんだオトコ...( 一一;) 解放もしてるみたいだけど。日本だと一休(宗純)あたりか...。

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一休さんは、実はエロ和尚だったとは本当ですか?? - 一休宗... - Yahoo!知恵袋

 

 

全然話が進みませんが次回に続きます。

 

以上